「カワイイ顔して、ドッカーン、バリバリ!狂気を孕んだこの落差が堪らない!!!基本、女性vs女性。やっぱり、女性は強いですね!」
「容赦ない。とことん容赦がない。高橋慶太郎が「ヨルムンガンド」シリーズの完結に続いて描き始めた「デストロ246 第1巻」(小学館、533円)の容赦のなさは、武器商人が跋扈する世界で、襲ってくる敵を凄腕の傭兵たちがあっさり退け、それでもしつこく追ってくる相手には、爆撃機で爆弾の雨を降り浴びせ、粉々に吹き飛ばす容赦のなさを見せた「ヨルムンガンド」すら上回る。遙かな高みで凌駕する。あれで「ヨルムンガンド」には秩序
があった。凄腕の傭兵たちであってもココ・ヘクマティアルの命令なしには動くことはしないし、戦う時も勝手には振る舞わず、彼女の命を守るという最大の目的のために動いていた。空を支配し、世界に秩序をもたらすという願望の叶える過程で、大量の犠牲が出ることを厭わないココの心理は、確かに容赦のない類のものだった。それでもそこには目的があり、プロセスがあって、結果に対する責任を背負う覚悟があった。「デストロ246」にはそ
んな秩序も、躊躇も、思索も、願望も一切ない。敵がいる。殺す。敵らしい。殺す。鬱陶しい奴だ。殺す。容赦などという思考のプロセスなど欠片もなく、微塵も経ずして体が動いて銃を取り、ナイフを握って相手を撃ち、刺し、殺し尽くす。それも少女たちが。そのバトルの迫力は「ヨルムンガンド」以上。向かう先の見えなさは「ヨルムンガンド」とは違う意味で興味を誘う。東京という身近な舞台で、女子高生という目に見えやすい存在が、あり得な
い性格とあり得ない体技であり得ない殺し合いを演じるそのギャップは、「ヨルムンガンド」にはなかった種類の興奮をもたらす。誰が生き残るのか。誰も生き残れないのか。楽しみたい。血で血を洗う戦いぶりに狂喜乱舞したい。少女たちの容赦ない本性への恐怖ををじわじわと身に染みいらせながら。いつかその美しい手にかかって、容赦なく葬り去られる時を夢想しながら。」