「映画は脚本だ。それがすべてではないとしても、脚本がダメな映画がダメな映画にならない可能性はやはり低い。だからハリウッドは脚本に時間をかけるし、お金も使う。予算の半分は大げさとしても、誰もが納得できるまで脚本を練り直し、完璧に近づけようとする。もっとも、時として完璧に近づけすぎて大多数が納得できる範囲に押し込められ、ほどほどでそこそこの出来に収まってしまうこともある。尖った部分や驚きを感じさせる部分がスポイルされ、ロジックではなくパッションで押し切るような場面も削られた挙げ句に及第点ではあっても、120点や200点といった点数がつけられ、映画の歴史がそこから変わってしまうような奇跡が起こる映画にはならなくなってしまう。2018年の映画界を席巻した上田慎一郎監督による「カメラを止めるな!」が、完璧なまでの脚本によってその面白さが差さえ得られていることに誰も異論はないだろう。もっとも、そんな脚本を与えられながら脚本の難しさに撮影を投げ出していたら、役者たちが諦めていたらあれだけの熱を放つ映画にはならなかった。完成後の役者たちによる体を張った宣伝が効いたことも事実だが、そうした宣伝に応えるだけの中身があったからこそヒットした。そうした中身を支えたものが、素晴らしい脚本であり素晴らしい監督でありすばらしいスタッフでありすばらしいキャストであった。すべてが調和してなおかつ増殖して生まれた「カメラを止めるな!」の奇跡をきっと、映画を撮る者たちなら誰もが一生に一度は起こしたいことだろう。そのために必要なことは何か。どんなことに気をつければ良いのか。前作「映画大好きポンポさん」でただのアシスタントだったジーン・フィニという青年が、ポンポさんという敏腕プロデューサーによって監督デビューし、ずっとため込んできた映画に関する知識と情熱を総動員して映画を作り、ニャカデミー賞を獲得するまでを描いた杉谷庄吾が、続編となる「映画大好きポンポさん2」(KADOKAWA、880円)で描いたのが、まさに優れた脚本を軸としつつ映画への拘りや情熱もそこに乗せつつ、曲がらないで折れない心を図々しさと共に抱き続けることで素晴らしい映画が生まれる可能性だ。あるいは蓋然性だ。ニャカデミー賞の受賞でジーン・フィニを起用したいと申し出るプロデューサーが現れ、人気スターが登場する超人気冒険活劇の続編を撮って欲しいと言ってきた。ジーン・フィニは受けて撮影の現場に赴くが、すべてがプロフェッショナルたちの完璧な作業によってシステマティックに動き、そこに完璧な演技を見せるスターたちが乗って一切のトラブルなく撮影が進む。そこにジーン・フィニは気持ち悪さを覚える。勉強によって映画に関する知識だけは抜群なジーン・フィニはプロデューサーが望む映画を撮り終えて編集もし終える。一応は恩人のポンポさんに見てもらい、間違いなくヒットすると言ってもらえたものの面白いと言ってはもらえなかったことが気になり、それが自分の思うところのクズ映画だったと確信してまったく違う編集を行い、試写へと送り込んでは逃走し、プロデューサーもキャストもポンポさんも驚かせる。映画好きが見れば面白さがあって興味深さもあるその編集は、商品としての冒険娯楽映画からは外れていた。ポンポさんは旧知のコルベット監督とともに娯楽作品としての編集を行い直してジーン・フィニのばっくれをカバーするが、それで心を入れ直すようなジーン・フィニではなかったようで、納得がいく映画を撮るなら自分で脚本を書くべきだと思い、書いては納得がいかずニャカデミー賞を獲得した映画で脚本を手がけたポンポさんに頭を垂れて教わりどうにか1本の脚本を仕上げる。娯楽大作の編集の健で多大な迷惑をかけ、その下から飛び出しながらも戻って脚本の書き方を教わろうとし、なおかつその脚本を元に映画を撮り始めたものの納得がいく映像に近づけようとして撮影期間が伸び、結果として主演女優のミスティアが出資者に声をかけ、貯金も崩して協力しても申し訳なさそうな顔ひとつしないクズ野郎のジーン・フィニ。けれども完璧な脚本があり、そしてポンポさんですら納得の映像が非道な振る舞いへの反感を抑えて協力へと至らせる。才能にとことん傲慢で、決して妥協しないにも関わらず、映画好きが感嘆する作品を撮れるジーン・フィニを誰もが真似できる訳ではないし、真似をすれば良いというものでもない。ただ、改めて映画とは何かを考え直した時に、万人が及第点を与える映画ばかりが蔓延る世界で良いのだろうかと考えた時、ジーン・フィニという存在が見せる突き抜けた行動と、そして「カメラを止めるな!」が巻き起こしたとてつもない広がりを思い出す必要があるだろう。映画とは何か。映画とは誰のものか。映画はどこに行くのか。「映画大好きポンポさん2」は、そんなことについて、前作「映画大好きポンポさん」と同様に考えさせてくれる漫画だ。恐ろしいのはそうやって、尖りまくった才能をより尖らせて脚本を書き、キャスティングをして撮影をしたジーン・フィニをしても容易には書けなかった脚本をあっさりと書き、そしてジーン・フィニが見て感嘆する映画を名優のコルベット監督とともに撮りあげてしまうポンポさんの才能だ。爆走するジーン・フィニに触発されつつ、その暴走に頭にきたと言ってポンポさんが繰り出した映画での勝負はいったいどちらの勝ちだったのか。そこを示さないところに映画というものの底知れない面白さが味わえるのも事実だけれど、それでやはり勝敗が知りたい。続きがあるならそこで語られて欲しい。」