「第10回のマンガ大賞2017にノミネートされた時に読んだ、桑原太矩の「空挺ドラゴンズ」(講談社)第1巻から受けた印象は、宮崎駿が描いた漫画版「風の谷のナウシカ」に「天空の城ラピュタ」が混じった絵柄と設定に、九井諒子の「ダンジョン飯」も混じってといった具合に、いろいろな漫画なりアニメーションの影が見えてしまって、体が数歩下がってしまった。同感だった人も多かったのか、最終候補にノミネートされた13作品ではポイントで最下位。以後、続刊が出てもエントリーされることはなかった。その「空挺ドラゴンズ」が、2020年1月からアニメーション化されて、フジテレビの「+Ultra」枠とオンライン動画サイトの「Netflix」で放送・配信されるようになった。そして、全12話を配信している「Netflix」で見たアニメ版「空挺ドラゴンズ」は、空を行く捕龍船の活躍と、そこに乗っている龍捕りらの活動が描かれていて、原作の漫画を読んだ時よりもすんなりと受け入れられ、そして見るほどに深く引きつけられた。もしかしたら、原作の割とがっしり描かれた線とは違って繊細な線と色味によって表現されていること、モニターという横長の画面だからこそ捕龍船が空に浮かんでいる感じがしっかりと見え、船内のあちこちを横に移動しながら仕事をしたり、龍を獲ったりする様を伝えていたことも、引きつけられた理由かも知れない。ただ、そうやって入口を超えたところにあった面白いドラマは、原作の漫画で桑原太矩が描いたものになる。そう考え、ならばと改めて原作の漫画を手にとって触れたドラマや、活躍するキャラクターに深く感じ入った。これは面白いと。これは素晴らしいと。捕龍船は空を行く捕鯨船といったところで、そんな中の一隻、クイン・ザザ号に暮らし生きて仕事をしている乗組員達と龍との勝負が「空挺ドラゴンズ」のストーリーとして描かれる。龍といってもファンタジーに出てくるドラゴンという感じではなく、深海魚が巨大化したような風体で様々な種類がいて空を泳いで移動する。捕龍船はそうした空を行く龍を獲っては肉を切り分け、油を絞り骨も皮も内蔵も処理して売りさばく。クイン・ザザ号はどこかに母港があってそこに戻る訳ではなく、行く先々で龍をとっては売りさばき、寝泊まりをしてまた空に帰って行く。そこは捕鯨船とは違ったところかもしれない。デラシネな感じがあって、地に足を着けた人たちから嫌われている感じ。それは龍を呼ぶかもしれないという恐怖心もあるんだろうけれど、どこか自分たちとは違う存在だとい部分もあるのかもしれない。漫画もアニメも第1話では、クイン・ザザ号の乗組員たちが龍を持ちこんだ街に入れて貰えず、寝床を用意してもらえない状況が描かれた。そこは新たに現れた龍を退治することで認めさせたけれど、普段からそうやって差別を受けながらも旅をして暮らしている捕龍船の人々が、どういう来歴をもってそこに集まったのかが気になった。男たちはまだしも龍捕りのヴァナベルや操舵士のカペラ、機関士のメイン、そしてメインヒロインとなるタキタといった女子が参加しているところが特に。後、ヴァナベルについて出自が語られ、そしてメインも許嫁がいながら捕龍船の機関に引かれ乗り組み今へと至った過去が語られる。男たちでも主人公で龍を獲っては喰うことを目的に生きているミカが、かつて共に龍を捕っていたクジョー・ランダウとの過去の戦いが振り返られ、再開から再戦へと至る物語が描かれる。龍獲りだけが人生で、挙げ句に怪我をして落ちぶれたクジョーはあるいは、ミカら龍捕りたちの将来の姿かもしれない。それでも挑まざるを得ないのが龍捕りの性分。やりたいことをやり抜くその生き方に、なかなか踏み出せない人間として憧れを感じてしまう。そうした生き様を描いているストーリーでは、同時に龍をどう喰うかといったグルメ的なエピソードも語られる。ただ焼くとか煮るといった食べ方以外に、燻製にしたり龍の脂で焼いたパンにのせたりといった食べ方が示される。架空の肉でありながら、実際に存在して食べられる上に相当に美味であるかのように感じられるのは、しっかりした手順で調理され、しっかりとした絵で描画されているからだろう。紙の中、モニターの中にあって手を触れられない料理でありながら、次元を超えて漂ってくるその匂いもまた、「空挺ドラゴンズ」の大きな魅力だ。もしも龍の代わりに牛や豚や羊などで作っても同じように美味なのか。試したくなるけれど、やはり龍とは違った味なのだろう。だからこそ憧れるのだ。「空挺ドラゴンズ」の世界に。」