「ファドを知らなかった。どこかで聞いたことがあったかもしれないけれど、意識して聞いたという記憶はなかった。シャンソンだったら感じは分かるしカンツォーネだったらなおのことどんな感じか思い浮かぶのに、ファドだとまるで浮かばなかったのは、それをファドだと語ってくれる人が周りにあまりいなかったからだ。これからは違う。ファドはポルトガルを発祥とする民族歌謡で、そして悲しみや慈しみといった感情が乗った歌声が響き渡って、心を振るわせてくるものだということが、いしいひさいちによる漫画『ROCA 吉川ロカ ストーリーライブ』(いしい商店)の中で大いに語られた。読み終えた人は今後、ファドというものに対して鋭敏なって耳をそばだてるだろう。そして考えるだろう。それはロカの歌声なのだろうか。ロカはもっと凄いのだろうか。どれだけの感嘆をロカはもたらしてくれるのだろうか。等々。気にしていなかったファドというジャンルに、吉川ロカという架空の歌手を通してとてつもない興味を抱かせられることになる。それが『がんばれ!!タブチくん!!』であり『おじゃまんが』であり『となりの山田くん』であり『ののちゃん』といったギャグ4コマ漫画で鳴りひびく、いしいひさいちによってもたらされるものであるということに、振り返って驚かされる。いや、読んでいるうちは確かに、いしいひさいちのギャグ4コマ漫画なのだ。ひねくれていて、大げさなところがあって、しっかりと笑わされる。ストリートで唄っていた時に、聞いてくれていた老女をきっと演歌と間違えているんだと思ったら、本格的なファド好きだったといった落として持ち上げる笑いが多いのが特徴で、13人くらいしかいなかったライブをマスターから異例と言われ、少なすぎるからかとドキドキさせた次のコマで、その13人が全員サイン入りのCDを買ったのが異例と言わせる持ち上げも、笑えつつ喜べる。権力者がひっくり返ったり人気者が転んだりするような笑いも描ける一方で、人情味に溢れた笑いもしっかり織り交ぜ好評価と思いきや、『ののちゃん』の中でロカのストーリーは途中で打ち切られてしまう。「まぁきっとどこかで唄ってるよね。」「ああ元気でやってるやろ。」。ののちゃんとお母さんが会話するその背に、デビューアルバムを発売したロカのポスターが飾られ、成功を悟らせて終わらせた『ののちゃん』でのロカのストーリー。ただ、まだまだ語りたかったことがあったのだろう。いしいひさいちはそのその先を描き継いで、自費出版によって1冊の本にとりまとめた。それが『ROCA 吉川ロカ ストーリーライブ』だ。事務所に入り、ライブをし、レコード会社からアルバムを発売するプロとして成長していくロカが描かれていて、歌声という才能で周囲を驚かせ、喜ばせてきた港街でのアマチュア時代とはまた違った苦労であり、人情といったものがつづられていく。どこにでもいそうな女子が、ステージに上がるともの凄い咆吼のような歌声で圧倒する展開だけでも嬉しいけれど、そうしたエピソードが幾重にも積み重ねられていくうちに、耳にロカのその歌声が響いてくるような感じがするのも良い。雨の日のライブに介護者を連れてきてくれた車いすのお婆さんを見送る2本のエピソードに続けて描かれる、お婆さんの側からのエピソードから醸し出されるロカの歌声の凄さと素晴らしさ。聞いてみたいと思わせてくれる。歌ってもしかしたら凄い力を持っているのかとも感じさせてくれる。ストーリー4コマ漫画であり、萌え4コマ漫画からは人気の作品が多く生まれ、アニメ化もされている。あるいは『ROCA 吉川ロカ ストーリーライブ』も同じような展開を辿ることがあるの。あの咆吼のような歌声を再現できるファドの歌い手はいるのか。そうした興味も浮かんでしまうが、そうなるとあのどこか哀愁を漂わせたラストの解釈が気になって来る。高校生の頃からロカを支えてきた柴島美乃との関係を、文字通りに精算したかのようなラストの裏側に何があったのか? 消え入るような儚さを漂わせていたロカの今は? 通販で取り寄せた『ROCA 吉川ロカ ストーリーライブ』に添えられた納品書Rタイプに掲載された1コマにヒントがあるのかもしれないけれど、それも含めて想像させる道をいしいひさいちが選んだのなら、あとは受け取る方で考えるしかない。信じるしかない。ロカは今もファドを唄っている。港街で。コンサートホールで。世界で。圧倒的な歌声で。」
「Twitterで評判が聞こえてきて、みんな絶賛していたんですよね。ほんとうでした。ポルトガルの国民歌謡ファドの歌手をめざす地方出身の女の子の話です。いしいひさいち先生なので4コマです。もともとは朝日新聞の4コマ『ののちゃん』の中で描かれていた作品内作品だそうです。いしいひさいち先生も岡山県玉野市の出身だそうですが、この物語の舞台も、それとおぼしき地方の港のある町です。たまたま日本の、たまたまある地方にうまれた少女が(しかしたまたま意外にこの世に生まれてくることがあるでしょうか)、たまたまたまらない才能を持って生まれてきてしまったがために、故郷から離れ、それまで少女をとりまいていた人々から離れ、都会へと旅立つ。そうしたお話です。たくさんの『歌姫』物語、そのひとつ。昔からよくある話、かもしれません。けれど主人公だけでなく、彼女をあたたかく見守ってきた人たちひとりひとりの個性が、しっかりと描き出されていて、ある地方のある時代の歴史の記録にもなっています。」
「聴いたことない音楽のはずなのに絵から歌が聴こえてきて声の圧を感じるような不思議な感覚。主役ふたりの強い繋がりに救われる。」